コラム

死に際のサイン

麻酔 獣医 モニター

麻酔中に元気だった猫が死んでしまったという投稿を見て思ったことを書きます。

これから書く内容はTwitterでのRT元や、それを対応した病院を批判しているわけでは本当にありません。Twitterでは詳しい状況等はわかりませんし、その治療に対してコメントできるような責任は私にはありません。またその原因を追求する気も全くございません。その投稿を見て今まで考えてきたことを書いてるだけです。あくまで私の思うことを書きます。もしこのコメントを読み、RT元の方、またその病院、特定の個人を批判しているように聞こえたのであれば、私の書き方だ悪いだけですので、私の書き方を批判していただければと思います。

また私は獣医師という職業を代表するような人物でもありません。あくまでも私個人の意見です。獣医師はそれぞれの考え方がありますので、そのこともご理解頂いた上で読んでいただけると嬉しいです。

正直コメントすべき内容でないと思う葛藤も有りましたが、何故このことに対してコメントをしようと思ったかというと、Twitterに限らず、このような麻酔中に患者が起きず亡くなってしまったということを聞くからです。

そして

  • 必要以上に麻酔を怖がってほしくないため
  • このようなことが今後起こることを少しでも減らすため

にこの記事を書いています。

麻酔中に患者が死亡する可能性はあるのか?

これは事実であると思います。どんなに気をつけていても亡くなってしまうことはあります。麻酔薬は生命を維持するために必要な機能を薬によって落とすため、命に関わる問題が起こることもあります。その可能性は残念ながら人医療に比べると多いですが、健康な子であれば相当低いです。なので健康な子の麻酔で必要があれば、積極的に麻酔下の処置はするべきです。可能な限り麻酔をかけたくないのは獣医師側も同じなので、基本的に麻酔下の処置を提案するということは、その処置をするべきだと獣医師が判断しているからです。

健康な子が突然亡くなるという悲劇

獣医医療においては避妊・去勢といった病気でないのにも関わらず手術が必要なケースがあります。予防のために健康な患者を手術するというのは獣医医療の一つ特殊なことであると感じています。そしてこれらの手術は、どんな規模の病院でも患者のために行う必要があります。

しかしながら健康な患者であっても麻酔でトラブルが起きる可能性は0ではないです。ただし元々健康で、亡くなると思っていなかった子が「原因不明で死にました。麻酔をかけるとたまに死ぬことがあるんです」と言われたら、納得できない方が多いと思います。麻酔ではトラブルが起こる可能性があると手術前に説明を受けていても、納得できないのが普通だと思っています。もちろん元々状態の悪くリスクの高い場合は話は変わってきますが。

人間に置き換えてください。病気としてはそこまで大病ではなく、死なないと思ってた家族が麻酔中に亡くなって帰ってきて、医師に「原因不明で死にました。麻酔をかけるとたまに亡くなるんです。」と説明されたら。故意で無かったとしても、人為的ミスで無かったとしてもおそらく納得できないと思います。ここはあえて私の意見として厳しく言いますが「死亡原因がわからなかった」ことを「麻酔をかけると一定の確率で死亡する」ということで帳消しにはならないと私は思っています。その2つはイコールではないです。

手術中に自身のペットが死亡して、納得できないことは当たり前だと思います。獣医医療関係者ではない友人から、麻酔中にペットが死亡してしまい、獣医師に不信感を抱いたと話をされたこともあります。ただ一つ理解して欲しいのは、先程も述べたように獣医医療においては、なんの症状もない健康な子も全身麻酔によって処置が必要な場合があり、健康な子が麻酔(手術)により死亡してしまうことは確率としては本当に低いですが、0ではないということです。なのでもし獣医師が手術中に患者が死亡してしまった内容を誠実に説明していたら、納得をしていただくことは難しいと思いますが、理解していただけると幸いです。これは我慢していただきたいと言っているわけでは決してありません。

麻酔薬を適切な量を使用していたのに亡くなってしまった

こういったことを聞くことが多いです。これは亡くなってしまっていることが事実である以上、麻酔薬を適切な量使用したことが死亡の言い訳にはならないと思います。麻酔薬の量を適切に使用することは、麻酔をかける上で最低限の条件であるからです。もちろん人為的ミスが起こる可能性は、人間のすることなので0ではないので適切な量を使用したことは説明する必要はあると思います。ただ、麻酔管理において麻酔薬をいつもと同じ適量使用したから安全なわけではありません。

安全な麻酔を提供するためには、

1: 麻酔中に起こりそうな問題を予測し、その問題が起こる可能性を減らす

2: 薬を適切な投与量を投与する

3: 適切に、継続的に患者の状態をモニタリングする

4: 問題が起こってしまった場合は適切に対応する

必要があります。

教科書に記載されている適切な投与量を入れるだけで安全な麻酔が必ず達成できるのであれば良いのですが、残念ながら麻酔はそういったものではありません。さらに言えば、麻酔中に起きる問題は通常の飲み薬等の薬の投与で起きる問題と異なり、劇的な速さで、さらに命に直接関わる場合が多いです。人医療と違い麻酔科医が麻酔をかけることが当たり前でない獣医医療においては、麻酔の専門家でなかったとしてもなるべく安全に麻酔をできるようにするために、麻酔薬の投与方法を発案し提案してきています。しかしながら、適切なモニタリング、適切な対応を学んでいくことはやはり必要です。

原因不明で死亡してしまうことはあるのか?

麻酔中に亡くなってしまう可能性は0ではありません。ただ、完全に何が起こったかわからないレベルで麻酔中に突然亡くなってしまうことはほぼ無いです。どういうことかと言うと、麻酔中に予期せぬトラブルが起きたとしても、患者は亡くなる前に何かしらの死に際のサインを発するからです。そしてそれに対応できれば生きることができ、対応できなければ亡くなってしまいます。どんな経過で亡くなったのかはわかり、そこから何が原因で死亡したのか予測することができます。ただし、これはしっかり患者をモニターできる環境、知識、人員がそろっていないと達成できません。そしてその環境を通常の動物病院において整えることは、獣医医療では容易で無いのが現状だと私は感じています。その理由は後述しています。

こういった原因不明で麻酔中に患者が亡くなってしまうケースは今回だけではなく聞く話です。毎回悲しく思います。こういった突然死は麻酔をすることへの恐怖を煽ってしまうし、獣医師への不信感につながっていると感じます。それは獣医麻酔を仕事とする私にとっては本望ではなありません。

私も麻酔科として働いていますので、知り合いから相談を受けることもあり、悲しいですが麻酔で患者が亡くなってしまったという報告を聞くこともあります。その際に考えられる原因を突き止めたいと言われます。どんな状況で亡くなったか把握するために詳細を聞くのですが、大抵の場合は情報が不足しています 。そうなる前の血圧はどうだったのか、心拍数は、呼吸数は、CO2は、体温は麻酔薬のその時の量は、いつ薬を投与したのか、人工呼吸はどう使用していたのかと情報を聞くと、答えられないことが多いです。つまり患者のモニタリングが不足している場合が多いです。これが「原因不明の死」として扱われていることが多い気がします。もちろん答えられてもはっきりしないこともあります。

今の現状、麻酔を管理する人手が手術の際にいない病院も多いです。つまり手術をしてる術者が、同時に患者の麻酔状態を見ていたり、人員を用意できたとしても麻酔の専門家ではない人が管理している病院がほとんどです。むしろ麻酔の専門家がいる病院はごく僅かですし、麻酔専用の人員を用意できている病院も多くないと感じます。ただしこれらの病院が悪徳病院なわけでは決してありません。この状態でも精一杯患者に気を使い手術を行ってきたおかげで助かってきた命がたくさんあります。人員がいないから、麻酔に関して多くの時間を割けないからと、手術を見送っていたら沢山の命が亡くなってしまっていたに違いないです。実際そういった一般的な病院でも、麻酔中に患者が亡くなることは滅多にありません。動物病院の先生方は命を助けるために頑張って働いています。

現状維持ではいけない

ただこのまま現状維持でいいとは決して思っていません。次のレベルに日本の獣医医療が行くためには、また突然死という悲劇を繰り返さないためには、この状態を今後変えていかなければならないのです。それには時間がかかります。

時間のかかる理由としてはいくつかあります。

一つは麻酔の教育が行き届いていないことです。他の記事にも書いていますが、獣医医療において麻酔を専門家として働ている人はほとんどいません。獣医麻酔科医の仕事は、実際に麻酔を患者に直接かける人としてのみならず、正しい知識や麻酔の方法を普及するための教育活動も現在は含まれます。これは前にも記載したように、ヒト医療と異なり麻酔科の専門家以外が麻酔を掛ける必要がどうしても獣医医療にはあるからです。結果として麻酔学を正しくまだ伝えられてないと感じています。また、大学における獣医麻酔学の教育はまだ始まってそこまで時間が経っていません。麻酔学の教育は大学によりますが、6年前の私が学生のころは6年間で合計6時間くらいしか麻酔の授業はありませんでした。6時間で安全な麻酔をかけるのに充分では到底ありません。今は各大学で麻酔の授業も増えてきています。またセミナー等も頻繁に行われるようになってきました。ただ、こういった活動が実を結び、結果につながるまでには時間がかかります。

また他の理由としては、麻酔学は後回しにされがちな学問ということです。理由としては、他のことを勉強をしたほうが助かる命は多いのは事実だからです。獣医医療における麻酔は、麻酔科医がしているわけではない場合が大半であり、他の治療も行っている先生方が麻酔を行っています。動物病院においては一人の獣医さんが、皮膚も心臓も癌も呼吸器疾患も治療し、画像診断も行い、内科治療も外科治療も、犬も猫もやっている場合が多いです。その中で麻酔というものはどうしても優先順位が下がりがちです。時間は有限です。そのため、麻酔の勉強する必要があると思っていたとしても、なかなか時間的に実行できていない場合も多いと感じます。今現在はまとまった時間がなくても麻酔学を勉強できるように、webを用いて情報を提供したり、小規模のセミナーを増やしたりしています。それらが普及し、より安全な麻酔に変わっていくためには時間はかかると思っています。

突然死という悲劇を減らすためには

獣医医療に関わる方々へ

麻酔学はここ10年で大きく成長した部門であると思います。今までの麻酔の方法から変える必要がないと思ってる方もいらっしゃると思いますが、既存の麻酔のやり方はもしかすると改善の余地があるかもしれません。今はより安全なやり方があるかもしれません。忙しく、時間が割くことが難しい方もいることは重々承知ですが、是非麻酔の方法は今一度見直していただけると嬉しいです。「新しいやり方=複雑になって難しい方法」というわけではありません。意外と見直すとシンプルで管理しやすい麻酔になることも多いと思います。興味はあったとしてもどうしたら良いかわからない方もいるかも知れません。そういった方に向けて、現在どうしていくか他の獣医麻酔科の方とも模索しているのでしばらくお待ち下さい。

動物病院を利用する方々へ

以前に比べると、獣医麻酔学の発展と各獣医師の努力により死亡率は少しづつ下がっていってはいると思います。ただ、それでも麻酔で亡くなってしまう可能性は0ではありません。それは事実です。まだまだ獣医における麻酔学は充分には普及しておらず、現在普及していくために麻酔科の人間が努力している最中です。前述しましたが、人医療の病院と違い、一人獣医師がいろいろな科の勉強をしなければならないという事情があります。私のような各部門の専門家の先生も増えていますが、沢山の動物たちに現場で麻酔を施すのは専門家だけでなく、各動物病院で働く獣医師、動物看護師です。

今後麻酔の技術が普及すると、場合によっては手術の費用が高くなる可能性もあります。保険が人と比べて充実していないため、手術費用はすでに高く感じる方もいるかもしれません。ただ、さらに麻酔を拡充させて新しい薬を購入したり、機器を購入するのにはどうしても費用がかかります。麻酔薬も値段は決して安くはありません。また麻酔の管理をするために人員をおくためにはその分の人件費もかかります。さらに言えば知識をえるのも無料ではありません。沢山お金を払ってくれと言っているわけでは決してありません。ただより安全な手術を提供するために、必要な手術費用は払っていただき今後の日本の獣医医療の発展を一緒に作っていっていただけると嬉しいです。

 

今後原因不明の急死という悲劇の報告を聞くことが減っていくことを願ってます。

私も微力ながら獣医麻酔発展のために努力を続けていきますので、よろしくお願いいたします。